『発達障害は治りますか?』まとめ3 子ども時代にくだらんことさせないとダメ
- 作者: 神田橋條治
- 出版社/メーカー: 花風社
- 発売日: 2010/05/25
- メディア: 単行本
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『発達障害は治りますか?』のまとめ3回目です。
子どもの発達障害部分は飛ばしてます。
最初のまとめ部分だけでも読んでみて下さい(^^)
自分がなるほど~ってなった部分です。
<自分なりのまとめ>
発達障害は全部シナプスの発達のおくれがあるだけ
(昔)
遊びの中で自然に解消されていった
(現代)
子どもの遊びの貧困化 → 発達障害の増加に大いに関係 → 昔なら遊びの中で自然に解消されていったような軽度の発達障害が、今はそのまま残ってしまっている
◆対策
子ども時代にくだらんことをさせんとダメ
人間の五感の中で視覚だけがあまりに使われすぎているから、視覚以外のものをもっとトレーニングするようにしてください。
下記、本の抜粋です。
<第3章 問題行動への対処「未熟な自己流治療法」という視点>
P112 「統合」というものの、神経生理学的な実態は、ある時、シナプスの接続がピタッとうまくいくということかもしれない。
依存症から抜けるとか、自閉の人の方が上手な気がします。
感情にわずらわされるのが少ない分。
P120 おそらく、自分の体調に対する過敏性が「空気を読める能力」に回ってきたのだろう。
僕はすべてに関して「克服」というのは嫌いなの。全部「活用」と考える。
<第5章 治療に結びつけるための診断とは?>
P178 「どういう診断のもとに治療すれば目の前の患者さんがよくなるか」が基準。
P180 今の発達障害の学問が遅れたのはいっぱい分類したからで、実に下らん。
症状は本来複雑系だ。本来複雑系なものをデジタルに正確に切り分けようとすると、猛烈に手間がかかるんですよ。
要は全部シナプスの発達のおくれがあるだけのことだからね。
P182 小脳の不調には春ウコンがよく効く
P188 賦活される、もしくはバイパスができるんだ。
生体というものは必ず健全な部分を使って障害された機能をなんとかカバーしようとするの。
やはり子供の遊びの貧困化が、発達障害の増加に大いに関係していると考えているんです。
昔なら遊びの中で自然に解消されていったような軽度の発達障害が今はそのまま残ってしまっているのではないかと考えている。
P189 子どもの遊びの貧困化が、発達障害の増加に大いに関係していると考えているんですね。
昔なら遊びの中で自然に解消されていったような軽度の発達障害が、今はそのまま残ってしまっているのではないかと考えているんです。
昔からあった遊びは非常にたくさんの情報処理を並行してやらなければならないようにできているんですね。
今の遊びはその点、トレーニングになりにくいです。
運動は脳の発達に効果的ですよね。
運動企画課題は様々な情報処理能力の基礎を育てるでしょうし、単純な反復運動も脳の伝達物質のバランスを整えるのにいいでしょう。
ジョン・レイティ 『脳を鍛えるには運動しかない』
P190 僕が「『現場からの治療論』という物語」を書けたのは、機能が構造を変えるとわかったからです。
P191 作業療法士 岩永先生:バラエティーに富んだ発達障害の人を、いくつかの部分にわけて記述でき、リハビリにつなげられる人
P193 発達障害は、部分的発達遅滞であるという言い方はできる
P195 改変可能性のターゲットの定め方が実効性を欠いている。もっとプリミティブな活動、たとえばどろんこ遊びみたいなものでないと発達できないトレーニングレベルがあるんです。
P196 ちょっとした発達の遅れは昔もあったかもしれない。でも遊びの中でそれが自然に癒されていったのかもしれない。
僕はみんなにね、子ども時代にくだらんことをさせんとダメだと言っているんだ。
小さい時くだらんことばかりして、なんの役にも立たないことばかりしていると、うつ病になってもなんも仕事ができなくなった時に、なつかしい世界に戻ったんだから自殺しないんじゃないか。
でも小さい時から有効なことばかりしていると、初めての世界に入るわけでしょ?何もせんという。それで絶望するんじゃないかと。
P198 ともかくね、人間の五感の中で視覚だけがあまりに使われすぎているから、視覚以外のものをもっとトレーニングするようにしてください。
P201 すいか割りとか。そういう風に目で見なくても身体の動きを察知できるかどうかが、板書という学習作業につながっているんですね。
脳の育たない現代社会
P205 以前の生活にぴったいりマッチするようにわれわれの脳と筋肉が出来上がっているのに、そこにいろんなものが出てきて仕事させんようにしているから、脳にとってはとても怠惰な、一部廃用性萎縮が起きるような環境になっているんだ、と僕は思っているんだ。
P207 概念言語のところで文字言語と音声言語が重なっている。音声言語は肉体の叫びだ。文字言語が概念言語を通って音声言語の領域まで入ってくると、声というのは肉体の叫びですから、音声言語は肉体へ逆流入して心身症を引き起こす。
これが僕の心身相関理論です。