真摯であること
『もしドラ』でも出てきた「真摯であること」について ちょっと考えてみました。
まず、『もしドラ』のメモです。
「真摯さを絶対視して、初めてまともな組織といえる。 それはまず、人事に関わる決定において象徴的に表れる。 真摯さは、とってつけるわけにはいかない。 すでに身につけていなければならない。 ごまかしがきかない。 ともに働く者、特に部下に対しては、 真摯であるかどうかは2、3週間でわかる。 無知や無能、態度の悪さや頼りなさには、寛大たりうる。 だが、真摯さの欠如は許さない。決して許さない。 彼らはそのような者をマネジャーに選ぶことを許さない。」
「自分のことよりも全体(相手)のことを考える姿勢」 という表現でも良さそうな気がします。
私でなく公を優先するということと言えますね。
「情動だけでなく、論理で考える姿勢」 「平等性を考える姿勢」 「情報を隠さず報告する。その上で相談を行う。」 (→実感として、不利な情報を隠さないことは、信頼に繋がりやすいです。)
これらはクラス内で指揮をとる時に気を付けていることです。 そうしないとクレームの元になります。
今、読んでいる本より。(『人を動かす「超」話し方トレーニング』@苫米地英人)
「上司の見極めは二つのタイプのどちらかがわかればいいでしょう。 二つとは「いい上司」か「悪い上司」かです。 「いい上司」とは、企画を通すかどうかの基準が、 純粋に会社の利益になるかどうかで判断する上司です。 「論理」が通用する上司と言ってもいいでしょう。 「悪い上司」とは、企画を通すかどうかの基準が、 会社の利益になるかどうかではなく、 自分に忠実な部下かどうかとか、 自分の好みに合った企画かどうかとか、 企画提出者に企画に対する熱意があるかどうかといったことで判断する上司です。」
後者は情動の割合が多いんでしょうね。 そして自分の都合を考える割合も多い。 経験的にこういうタイプは他者否定が多い気がします。
また、「真摯さ」には「一貫性」という要素もあるようですね。
情動だけの人の例です。 和を尊しとして、その場限りの人の良さを発揮。 ちょっと難しい約束をしてしまいます。
ちょっと難しいので、その他のことで忙しくなると 結果として、約束を守れない。
できない約束をするのは結果として関係を悪くします。
最近は、これにムカついているわけです。 さらにスルーされたり、ごまかされたりは最悪です。
<結論(仮)> 自分のことよりも全体(相手)のことを考える姿勢。 また、その行動に一貫性があること